過去へ (30)

  本場所のその日の取り組みを終えた力士数人が、部屋に戻ろうと国技館を出ると突然靄が立ち込めた。何事かと思っていると目の前に木造の街並みが現れた。時代劇で見たことがあるような、そう彼らは江戸の町にタイムスリップしたのである。

  昨今、ドラマや映画でタイムスリップものが評判である。それらを見ていていつも思う事がある。現在でも、江戸時代から継承している文化や行事があるし、ドラマや映画等で江戸時代の風物が再現されている。では、それら継承或いは再現した人、文物、態様が、タイムスリップして、過去に出現した時、何事もなく、当時の人々に受け入れられるものなのかということである。

  冒頭に書いたように、浴衣や着物を着た令和の力士たちが、江戸の町に忽然と現れたとしても、町角から現れたとすれば、人々は勧進相撲の力士が歩いてきたと思うかもしれない。相撲好きな人がいたら、あんな力士いたかなと訝るかもしれないが、それだけのことである。長期間滞在するのはまた別の問題であるが、会話でもしない限り、令和の力士達は、特に違和感もなく江戸の町に溶け込むように自分には思われる。

  では、大名行列ならばどうであろうか。映画や時代劇では、結構頻繁に大名行列が登場するが、その大名行列がそのまま江戸にタイムスリップした場合である。映画や時代劇には考証があり、ある程度正確な仕様、振る舞い、状況が再現されている(明らかにおかしなものは登場しないわけである)。参勤交代などの大名行列は、石高、家格によって陣容が決まっており、毛槍、馬印等でどこの藩かわかったそうである。

  武士、足軽、中間等はカツラを被った役者やバイトであり、彼らの衣装には化繊が多く使われ、刀等の武具、籠、その他諸々の装備の一部又は大部がプラスティックで軽量化され、動作の演出を受けた、言わばフェイク大名行列が、江戸の町に出現し、進行していったらどうであろうか。そのような大名行列であったとしても、特に問題は起きないと個人的には思っている。

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  大名行列を目にした人々が、何かいつもと様子や雰囲気が違うなとか、このお行列はどこの藩であろうかと疑問に思うかもしれない。また番所奉行所の役人、或いは幕府の高官が、偶然、このなんちゃって大名行列を目にし、違和感を覚えたとしても、その場では何も起きないと想像できる。第三者が、大名行列を止めたり、供先(ともさき)を乱す行為はこの上なく無礼な行為とされるため、取り敢えず静観し、疑義があったとしても、後日、しかるべき筋を通してからの詮議ということになると思われるからである。

  時代劇によくある「下にー、下に」という声とともに、町民や農民が道端で平伏する構図は、Wikiによると徳川御三家尾張藩、紀州藩の行列に限られたもののようである。フェイク大名行列がこれら親藩を装っていたとしても、自分の立場や命を危うくするようなことはせず、なおのこと無干渉になるのでないだろうか。

  逆に、江戸時代の真正の大名行列が、現代の皇居前広場(彼らにとっての江戸城)か、車往き交う日本橋あたりにうまくタイムスリップしてしまった場合も考えてみる。当事者達の狼狽や衝撃は気の毒なほどであるが、忙しい現代人の多くは、それらを横目にしながら、ほぼ間違いなく、映画かドラマの撮影、何かのイベントと思うであろうし、時間がある人や観光客が、知ってる俳優がいないかなどと、スマホを持って近づき、人集りができる可能性もあるわけである。

  さて、タイムスリップしてしまった令和の力士達のその後も考えてみる。もう偶然によってしか現代に戻れないと悟った時、どうするかということである。スリップした年代にもよるが、自分たちは京都或いは大坂相撲の力士であり、江戸相撲に憧れて江戸に来たなどという理由で、どこかの相撲部屋に潜り込み、江戸の力士として生きていくのも1つの道である。相撲甚句の中に、そのような数奇な運命を辿った力士の切ない思いが綴られているものがある、と考えるのも面白いかもしれない。

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