姿 (79)

 「幼年期の終り」は、アーサー・C・クラークの長編SFである。SF好きなら、一度は耳にした事があるのではないだろうか。内容を説明する必要もないぐらいであるが、中盤までの概要は以下のようである。

 冷戦時代のとある日、大都市上空に、巨大な宇宙船が飛来する。来訪者の代表は、カレルレンと名乗り、ラジオ電波で地球を管理下に置くことを宣言する。この事態に地球は上を下への大騒ぎとなる。しかし、その後、来訪者たちは、支配したり、武力介入を行うというわけでもなく、逆に、母星由来の優れた技術を伝授し、地球文明の発展を誘導していくこととなる。

 その結果、紛争の元になっていた地球上の諸問題は解決され、ある意味、理想的な未来社会が到来することとなる。このような来訪者たちを、地球人はいつしかオーバーロードと呼ぶようになった。さて、来訪者たちは、地球人で唯一、宇宙船への立入りを許された国連事務総長のストルムグレンを通して、指導を行なっていたが、直接、姿を見せることはなく、カレルレンとの会話も、壁越しであった。

 正体を現さないオーバーロードに対し、地球人の間に不満がくすぶっていったが、それに対し、カレルレンは50年後に姿を現すことを約束する。一つの解決が示されたものの、50年後、自分が生存している可能性は低く、唯一の交渉者であったストルムグレンにとって、それは歯痒い結果であった。退任前の最後の会談において、彼は一計を案じ、カレルレンの姿を見ようと行動を起こすが、その結果について、決して語ることはなかった。

 時は流れ、50年後、オーバーロードたちは、約束どおり、ニューヨークの郊外に降り立ち、世界の人々の前に姿を現す。そこにはなんと、宗教画等に描かれた悪魔の姿があった、

 

まだまだ、話は続くわけであるが、前半の最大のポイントは、地球人に、幸福と繁栄をもたらした来訪者の姿が、多くの人が、邪悪とし、忌み嫌う、悪魔そのものであったという点である。容姿で判断してはならぬとは、よく言われる事であるが、もし、似たような事件が現実にあり、来訪者が当初からその姿を現したとした場合、キリスト教者の多い欧米人には(日本なら、さしずめ鬼といったところであろうか)、反射的に忌避感が誘導され、その後の展開も違ったものになる、可能性があるわけである。

【栗の専門店】恵那川上屋がお届けする栗菓子スイーツ

【栗きんとん・栗菓子の恵那川上屋オンラインショップ】

 話は少し変わる。ボイジャー計画は、探査機、ボイジャー1号、2号による外惑星及び太陽系外の探査計画である。外惑星探査の主たる運用はすでに終了し、カッシーニ等、その後の探査計画の先鞭となる、数々の成果を目にした方も多いのではないだろうか。1、2号機とも、太陽圏を離脱し、現在、星間空間を航行中であり、今だに運用中である。

 打ち上げ(1977)から、半世紀弱経過した、現在においても、当時の技術で作られた機器が、過酷な環境で正常に動作するのは驚くべきことであるが、個人的には、46年もの航行中(太陽から約200億km)に、微小隕石等による致命的な被害を一度も受けていないという事実に驚く。

 ちなみに、ハッブル宇宙望遠鏡の後継として2021年に打ち上げられたジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)は、地球からおよそ150万km離れたラグランジュ点(L2)近傍に配置されたが、2021年12月の打ち上げから2022年6月までに、5個の微小隕石が、JWSTに衝突したことが明らかとなっている。その内の1個は、主鏡を構成するセグメントの1枚に衝突し、被害を与えている。

 さて、そのボイジャー1、2号機には、地球外知的生命体探査の一つとして、有名なゴールデンレコードが搭載されている。同レコードには、地球生命文化に関する多くの画像や音源が収録されており、それを受け取った地球外知的生命体が、ボイジャーを打ち上げた存在と、その存在にまつわる文化を知ることが可能となっている。そして、その画像の中に男女のシルエットや人の写真が存在する。将来、探査機に遭遇し、接触した知的生命体は、ボイジャーとゴールデンレコードを送り出した存在の姿を知ることができるわけである。

(図1. パイオニア10号、11号の金属板. NASA資料)

 このようなメッセージの先鞭としては、1972年、73年に打ち上げられたパイオニア10、11号の金属板がある(図1)。ボイジャーのレコードより情報は少ないが、パルサーの位置から推定する、我々太陽系の位置、太陽系の模式図と探査機を打ち出した地球の位置など、その後のボイジャーレコード(ジャケット)に引き継がれた情報を含んでおり、何よりも目立つのは、探査機外形の上に描かれた成人男女の裸図である。ボイジャーのシルエットよりも具体的に描かれた男女図は、当時物議を醸したようである。

  このように、星間空間探査に入ったボイジャー1、2号、運用を終えたパイオニア10、11号は、地球外生命体との接触を企図しているという点において、現役であると言える。 

 さて、将来、これらメッセージに対し、返事があった場合、それらには、知的生命体の容姿が記録されている可能性がある。そして、その容姿が、悪魔的であろうと、異形のものであろうと、友好を持って接触してきた場合、友好を持って対応するのが筋である。冒頭の 幼年期の終り においても、来訪者の姿を知った地球人が、最初こそ動揺したものの、やがて受け入れたように 。(中味は神、姿はコワモテであった場合、〜ちゃん 付けにすれば、親しみ易いのではと、個人的には思ったりするわけである)

  今後、日本(JAXA等)も、精力的に小惑星や惑星、衛星の探査等を行い、宇宙に関する多くの知見をもたらしていくと推察される。その際、非着陸であったり、サンプルリターン後も飛行する探査機については、ボイジャーやパイオニアのような、知的生命体に対する、メッセージを載せても良いのではないかと個人的には思っている。米国の計画から半世紀経過した現代においては、そのようなメッセージは、レコードのような形態にとどまらず、双方向的なデバイスを装備した、日本独自のものであっても良いわけである。

 

疫病の世界的流行、紛争の継続、異常気象など、世界は不安定性にあえいでいる。このような時こそ、世界には平和的なオーバーロードが必要である(というのは言い過ぎであるとしても)、この混迷の時代を終えた後(他生命体の関与があるかどうかはわからぬが)、人類は、ある意味、幼年期に終りを告げることができるのかもしれない。