橙色 (48)

  キノコ採集は、軽く雨が降った日の翌日、晴れの日に行くことが多い。森や林に入るとまだ地面が湿っており、植物や腐葉土の香りを乗せた湿度のある空気が流れ、見上げれば、木々の合間から青空が見える、そのような日は気分も乗るものである。しかし、そのような日に限ってよく出くわすものがある。濡れた水苔や下草の上を移動する橙色の伸び縮みする枝のような物、初めて見た時は、一瞬、地球外生物かと思ったほどであった。

  それは、ヤツワクガビル(八輪陸蛭Orobdella octonaria Oka)である。ヤツワクガビルは、主にミミズ等を捕食する陸生のヒルの1つであるが、両側及び腹面が鮮やかな橙色、背面中央が濃緑色という山の中にはちょっと無い配色をしており、静止していたら、廃棄されたオレンジ色のガスチューブに藻が生えているように見える。

  自分が出くわす個体は、何故か、収縮時の巾3cm、伸展時の長さ40〜50cmほどある巨大なものばかりで、キノコを探索しながら地面を見ていると、突然、濡れた緑の上に鮮やかな橙色が躍り出て(普通にドキッとするわけである)、激しく伸縮しながらかなりの速さで移動を始める。触れてもおらず、距離が離れているにも関わらず、高速で離れていくのは、何らかの感覚器の情報により、こちらを、或いはその場の状況を危険と認識し、回避行動を取っているためと考えることができるが、森の中に同ヒルの捕食者がいる可能性など、実態は不明である。

  ヤツワクガビルに出くわすと、いつもドゥーガル・ディクソン(Dougal Dixon)の本マンアフターマン 未来の人類学」( Man After Man, An Anthropology of the Future)を思いだす。この本には、遺伝子操作により自然環境に適応するよう改造された人類とその末裔、機械技術による改造を行った人類、かって宇宙に進出し帰還を果たした人類等の変化が、500万年間に渡って想像たくましく描かれている。そこには何百万年もの過酷な自然選択を生き抜いた、もはや今ある人類とはかけ離れたクリーチャーのような数々の「人類」が登場するわけである。

  そして、ヤツワクガビルに遭遇すると、本の事を想起し、彼らは元々何処かの星で、知的生命体であったものが(必ずしも人型である必要はないわけであるが)、太古に、何らかの事情で地球に播種され、長年の自然適応の結果、現在のサイケデリックなチューブのような姿になったのではないだろうか、彼らは元々、高等生物であったのではないだろうか、などと夢想するわけである。これは「翠星のガルガンティア」に出てくるヒディアーズ(或いはクジライカ)のような感覚であろうか。

  ヤツワクガビルは、現状、人間世界と何の利害関係も持たない(見た時にドキッとするぐらいのものである)。現実的な問題として、吸血性のヒルは医療や薬用として利用されているので、ヤツワクガビルにも何らかの医療成分や生理活性物質が含まれている可能性はある。また、その長い腸管内に、アメーバ等が寄生しており、それらを宿主とする、パンドラウイルスのような何らかの巨大核質DNAウイルスが存在するかもしれない などと少し進化的な興味も持ったりするわけである。

  最近は、以前よりも、キノコ採集に出かけることが少なくなったが、今年も季節になれば、何度か出かけることになると思われる。そしてその時は、また「ヤツワ君」に会えるかななどと、期待と覚悟が入り混じった気持ちがあるわけである。