編む (28)

舟を編む」と言う作品がある。長い年月をかけて辞書を編纂する人々の熱き思いや恋愛事情が描かれており、小説、映画、アニメ等で展開され、映画は、数々の賞を受賞している。自分が見たのはアニメであったが、いつも見ているアニメとは毛色が異なり、興味深く見ることができた。

  辞書の編纂過程のことなど、何も知らなかったわけであるが、同作品を見た限りにおいては、辞書は、見出し語の選択とその説明(当たり前か)及び用例、出典によって特徴付けられ、個性を持つといえる。以前、南方熊楠のことを書いたが(縁 (26))、であるならば、「大渡海」の編纂に、編集部員或いは嘱託として、あの熊楠氏が参加していたら、どの様になっていただろうと想像してみた。

  国語辞典の見出し語、説明、用例には、故事、俗信、縁起、ことわざ等が含まれ、熊楠氏はそれらに対し該博な知識を持つため、彼の参加によって、辞書の持つ蓋然性、多様性が引き上げられ、出典も一段と潤沢なものになると予想される。一方、彼の意見通りに見出し語や用例、出典を採用していると、予定ページ数を大巾に超過する可能性があるため、それらに関する取捨選択において、彼は他の編集部員や専門家と度々揉めそうである。そしてついには、癇癪持ちの彼は、編纂作業半ばで他メンバーと衝突し、和歌山に帰ってしまうシナリオが想像できる。ということで、熊楠氏を玄武書房辞書編集部に迎えても、スーパー西岡君の様な人がいなければ、彼の豊富な知識を活かした特色ある辞書の編纂は、頓挫する可能性があると想像できる。

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  しかし、オンライン版となると話はまた違ってくる。現在では、PCやインターネットの普及とともに、辞書や辞典もオンライン版に移行しつつある。オンライン版では、紙媒体と違って、文字数や図版数の制限が緩やかであり、彼の知識を全開放して、納得のいくまで、見出し、語釈、用例、出典にこだわっても、それほど問題はないと思われる。したがって、オンライン版ならば、熊楠氏が参加した「大渡海」の編纂は継続し、国語辞典の歴史の中でも特筆すべき個性を持ったものが完成される可能性がある(もはや中辞典ではないかもしれないが)。

  熊楠氏は、オンライン版やその基となるインターネットに接することで、知識や情報の取得や発信におけるその利便性を認知し、より積極的に利用しようするのではないかと自分には思われる。そして彼は、総項目数110万件以上のオープンコンテントの百科辞書、Wikipediaを発見することになる。

  Wikipediaには、彼のフィールドである、博物学民俗学、歴史、生物に関する、東洋、西洋、他地域の膨大な記載がある。彼は、ユーザーとして、そこに新たな項目を自由に追加できるし、自分の知識に照らし合せて、既存の項目を加筆、修正することも可能である。より重要なのは、彼の言語力により、日本語版で追加した項目に対する英語版等、他言語版リンクを、自ら作製し発信することができるという点である。そして、彼は、項目数最大の英語版に存在する、日本の民俗や歴史等に関する不完全な記述を修正することもできる。このように、熊楠氏は、Wikipediaにおいては、水を得た魚のようであると自分には思われる。

  南方熊楠は、玄武書房において、オンライン版の国語辞典の編纂に携わりつつも、活動の場をWikipediaに広げ、日本の重要な発信者として活躍するというのが自分の予想である。タイムスリップして上の様な経緯を辿った熊楠氏を題材にした小説か漫画を描いてみるのも面白いかもしれない。