伊勢 (43)

  江戸時代には、伊勢参りが流行り、街道沿いの旅籠は大層の賑わいを見せたという。そうなると問題になるのが旅籠における食事の準備である。当時、焼き魚は夕餉の一品として重要であったと思われるが、そのような繁忙時は、数匹分というわけにはいかず、何十、場合によっては、それ以上の準備が必要であったと想像できる。

  現在でこそ、業務用のグリルや器械で、多くの焼き魚をほぼ同時に仕上げることが可能であるが、当時は、そんなものがある筈もなく、行楽地に行くと見られるように、中央に炭を盛った台に串打ちした魚を車座に刺し、炭にあたる面を変えながら焼いたり、鰻の蒲焼きに使われるような横長の焼き台を使う方式が考えられるが、それでも数に限度がある。同質のものを提供するのも難しそうではないか。第一、繁忙期に毎日そんなことしていては、いくら商売とは言え、旅籠のスタッフが疲弊するような気がするわけである。

  実は、旅籠では、この問題に対処する方法を持っていたのである。知っている方もいると思われるが、あらかじめ大鍋で大量の魚を煮て火を通し(醤油と味醂で茹でる煮魚ではなく、塩のみの素茹でということであろうか)、後から魚の皮に焦げ目をつけていたのである(焼きごてか火箸のようなものでつけたのであろうが、現代ならばさしずめ携帯のガスバーナーといったところである)。簡潔に言えばこれは煮魚である。そして、このようにして作る焼き魚風料理は、一般に「お伊勢さん」と呼ばれていた。切り身でなければ、油や旨味もそう抜けず、そこそこいけるような気がするのであるが、実際はどうであろうか。

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  さて、現代でも、お伊勢さん的料理がいくつか存在する。その代表的なものが、国民食カップ焼きそばである。焼きそばとは、本来、茹で麺或いは蒸し麺を、野菜や肉などの具、食用油、ソースと共に、鉄板やフライパン上で炒めて作られるものであるが、カップ焼きそばは、熱湯で戻した麺に、付属の液体或いは粉末のソースを絡めるだけである。炒めることを焼くことと言い換えるならば、カップ焼きそばの、一度も焼かずに湯で処理し、後で(調味液を絡めて)仕上げるというところに、お伊勢さん的ものを感じるわけである。

  本来の方法であれば、炒めることにより、麺や具材、ソース等に含まれる成分の一部が、キャラメル化やメイラード反応により変化し、複雑な香気成分や味成分が作り出され(これらの反応は焼き魚でも起こることである)、それらを含めて焼きそばの味覚となるところであるが、カップ焼きそばにはそれらがない。しかし、カップ焼きそばも進歩しており、近年の商品は、それら要素も再現するような調味液になっているようである。

  個人的には、カップ焼きそばは宇宙食に向いているのではないかと思っている(もちろん、カップではなくパウチであろうが)。麺の量が決まれば、麺にお湯を吸収させることも可能であろうから、お湯を封入し麺が戻ってから、パウチの内側に作られたソースエリアを押しつぶし、後はパウチごともみもみしてソースを混ぜれば、一度もパウチを切ることなく完成させることができる。というように考えていたところ、JAXAでは、某大手メーカーのカップ焼きそばを宇宙食としてすでに認証しているという情報を耳にした。それが国際宇宙ステーションで、実際、食されたかどうかは不明であるが、現代の「お伊勢さん」は宇宙にまで活躍の場を広げつつあるということであろうか。