自分は、プログレッシブ・ロックが好きである。今の人にとっては、古典とも言える、ELPやKing CrimsonやYES等の演奏を某動画サイトでよく見る。便利な時代になったもので、各国で演奏されたキース・エマーソンの悪魔的なBlues Variation (Pictures At An Exhibition:展覧会の絵 )を比較したり、クラシックのピアニストが弾く、Karn Evil 9 : 2nd Impression (Brain Salad Surgery:恐怖の頭脳改革)を楽しんだりするわけである。
(Tarkus (TarKus:タルカス)も良いだろうという意見があったので追記すると、もちろんTarkusも良い。特にEruption(噴火)を初めて聞いた時の衝撃は今でも覚えている。それとAquatarkus(アクアタルカス)も印象的である。ユカタン半島にあるチチェン・イッツァのカスティーヨ(ククルカンの神殿)の最上部から、日の出と並行してEruptionを大音量で流したら、さぞかし爽快ではないかと思ったりする。とはいえ、最近は、吉松隆の管弦楽版タルカスなど、編曲版やカバーを聞くことが多い。)
King Crimsonでは、人間椅子が演奏する、21st Century Schizoid Man (In The Court Of The Crimson King:クリムゾンキングの宮殿)や Larks’ Tongues in Aspic, Part Two (Larks’ Tongues in Aspic:太陽と戦慄)、欧米の青年がすべての楽器を一人で演奏するPart Oneをよく聞いている。
なぜカバーが多いのかというと、新しい若い演奏家、場合によっては違うジャンルのミュージシャンの演奏は、ニュアンスや技術の違いがあり、そこが新鮮である ということになるであろうか、当人らによる演奏は、もう何度も聞いているのでたまにでよいわけである。
YESの作品では、Roundabout、Heart Of The Sunrise (どちらも、Fragile:こわれもの)、有名なClose To The Edge (Close To The Edge:危機)、Owner Of A Lonely Heart (90125:ロンリーハート)等が好きである。すべて確認したわけではないが、演奏が難しいのか、個性的すぎるのか、某サイトでこれら曲のカバーを見たことがなく、必然的に当人らの(異なるライブの)演奏を聞くことになる。
当然、お薦めにもYESの曲がよく出ており、先日も、YESの問題作 リレイヤーのThe Gate Of Delirium (Relayer:リレイヤー)が出ていたので、久方振りに聞くこととなった。即興的要素やジャズの要素など、様々な要素を紡ぎ上げたこの激しい曲は、カバーはちょっとできない(カバーする意味がない)作品だなという感慨を持ったわけである。
(ちなみにYESのアルバムのジャケットは、ロゴをアレンジしたシンプルなもの、現代的なもの、及び独特のタッチで描かれた風景画のようなものに別れており、最後のものは物語性があって面白く、リレイヤーのモノトーンぽいジャケットは特に好みである。)
同時に、ジョン・アンダーソンをフューチャーしたYESではないバンドの最近の演奏もお薦めに出ていたので聞いたところ、Roundaboutを歌う、御年80才とは思えぬ彼の歌声にびっくりするわけである。
さて、これらELP、King Crimson、YESは、当然、曲の傾向や趣きがまったく異なる。それぞれの特徴を手短に表すとすると、ELPは、「エレクトリッククラシックの優雅さと躍動」、King Crimsonは、「重厚な環境音楽による繊細さと情緒性」、YESは、「多様なニュアンスを織り込んだ複雑な織物の美しさ」といった感じであろうか。
3つのグループのメンバーもポツポツと鬼籍に入っており、しばらくすると、当事者がいなくなることが想像できる。そうであっても、彼らの輝かしい作品は、バロックや古典派、ロマン派音楽のクラシックと同様に、1つのクラシック音楽として残り、未来に聞き継がれるように自分には思われる。