香る (45)

  大学時代、中学生の家庭教師をしていたことがある。新年度から週二回の一年契約であった。中学生の家は郊外の山際にあり、交通の便が悪いため、毎回、家の者が市のバスセンターまで車で迎えに来ていた。30分程かけて家に着くと、学生がいる二階の部屋に上がっていき、10分ほどすると、母親がお茶を持ってくるというのがいつものパターンであった。しかし、一月ほど経つと変化があった。それまで、お茶のみであったのが、一緒に魚のフライを持ってくる様になったのである。

  賄い付きの契約ではないが、(秋田でお茶とイブリガッコをだす感じで) その土地独自のお茶受けのようなものかと思い、理由を尋ねる事もなく、数学の問題を解いている学生の直ぐ横で、毎回、黙々とフライを食べていた。そして、最初にフライを口に入れた瞬間から、魚の正体に気づいていた。鮮烈なスイカの香りがしたのである。もうおわかりのように、そのフライは鮎であったのである。

  家庭教師に行くと、毎回毎回、何も言わずに鮎のフライが供されるという状況が3ヶ月ほど続いたであろうか。少ない時で10本ほど、多い時で20本ほどのフライが皿に盛られていたので、その年だけで、トータル300匹ほどの若鮎を食べたことになる。最近は、一匹も食べない年もあるので、その時にほぼ一生分の鮎を食べたのかもしれない。  

  教え子は無口で真面目なタイプであったが、一度だけ、このフライはどうして出てくるのか(これも変な質問であるが)、というような事を聞いたことがある。すると「お父さんが釣ってくる」という返事であった。どうやら、父親は釣りが趣味らしく、季節になると近くの川で結構な量の鮎を釣るようで、その釣果の一部が、自分の所に回ってきたようであった。

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  さて、鮎の最大の特徴はやはりその香りである。鮎の香りは、主に、不飽和アルデヒドの一種である2,6-ノナジエナールによるそうであるが、遡上前の稚魚の段階で既にこの香りを持つという。自分は、鮎(Plecoglossus altivelis)という種が、絶滅することなく、現在まで継続した過程において、この香りが何らかの役割を持っていたと考えている。

  稚魚が遡上しながら成長して若鮎となり、やがて成魚として繁殖行動を迎える間、個体は様々な捕食者による脅威にさらされていたと考えられるが、単純に、鮎の香りは、それら捕食者が忌避する (不快であったり、危険を感じる) 香りであると考えるものである(ヒトにとっては概ね好ましい)。また、一度捕食して不快であれば、以後は同種の個体の捕食を避けるという行動が取られる可能性が高い。特に仔稚魚の段階で捕食者の脅威を回避し、個体数を残すことは、種の存続と言う点で有利と考えることができる。

  もう一つは、月なみであるが、産卵行動の際、同種の雌雄を水中の特定領域に集める誘引物質になるというものである(上に述べたような香り成分が、水中でどれぐらい滞留、拡散するのかという問題や、鮎の嗅覚がどの程度であるのかという問題が関係してくるわけである)。さらに、産卵、放精の直前に個体どうしが接触し、香りが最終的な個体認識(同種、雌雄?)の要素として使われる可能性もあるのではないだろうか。

  さて、食生活において、魚食は海水魚に偏重しており、鮎等の淡水魚を購入し、自宅で調理して食べることは、ほぼ無いような気がする。それでも、旅行先や宴会等で稀に口にすることがあると、毎回、条件付けられたように昔のフライの事を思い出すわけである。

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