走る (31)

寮の話である。

  寮では、表向き、同学年や他学部間の、或いは先輩、後輩間の、交流、親睦をあまねく図るという目的で、実際は、男住まいに蛆が湧くではないが、ゴミや不要品が増え、不潔になりつつある各部屋をクリーニングし、リセットする目的で、年に数回、部屋替えがあった。

  部屋替えは特定の伝統的やり方で行われていた。希望する部屋は、学年が上の者から、同学年ならば在寮期間の長い者から順番に決めることができた(同学年で在寮期間が同じ者は、くじで順番を決めていたように思うが、定かではない)。また、一度同じ部屋になったことがある者どうしは、相部屋になれないという決まりもあった。そうなると必然的に、先輩や古株から、角部屋や、日当たりの良い部屋など、好きな部屋を選んでいくという傾向になる。と同時に、先輩達から部屋を決めていくので、一、二年生は、相性の悪い先輩や嫌な先輩と同室になることを回避することができたわけある。

  すなわち、先輩や古株は、領地を優先的に決めることができたが、同時に、一、二年生は(相対的意味で)領主と領地を自由に選ぶことができたわけである。内部ではこの方式を密かに「民主的封建制 : democratic feudalism」などと呼んでいた。

  以前、ひたすら歩き続けるという寮の行事の事を書いた(歩く (23))。寮には、似たようなもう1つの行事があった。それは、決められたコースを走り抜けるというもので、毎年暖かい季節に、市の繁華街を含む特定のコースを、寮旗をかざしながら、褌姿で走り抜けるというものであった。かなり昔から行われており、毎年の事なので、沿道の人々も暖かく見守っていてくれたようであったが、その年は、行事の終了後、クレームが入った。

「 少年から青年への移行における、健全なる身心の成長は真に喜ばしい事ではあるけれども、予期せぬ状況において、一部の露出を目にすることは、婦女子に要らぬ動揺をもたらしうるものであり、そのような状況が無きよう、万端注意願いたい」というような内容であったと思う。

  どうやら夢中になって走っている内に、誰かの褌からトロンと出てしまったようであり、それを目にした年配の方からクレームがきたようであった。走る側からしても不本意であり、翌年からは、直締めが減少し、海パンの上に褌をする者が主流になった。昔からの伝統が変化していくのを見て、少し寂しい思いがしたものである。

  授業や部活を終え帰寮すると、大食堂では、夕日射す薄暮の空間の中で、テレビの音声と寮生の会話が混じって、心地よい喧騒を作り出しており、自分の最も好きな時間の1つであった。寮生活は、少し規則ばったところもあったが、概ね楽しく今では懐かしい。そして、現在でも、時折、あの伝統のシステムや、特異な行事の数々など、寮生活の日々を思い出すわけである。

温めるだけの簡単おかず「松乃江」