火星-居住5 (66)

(火星-居住4 (65)より) 

 

  そして、隔壁内の、先に述べたユニットではない建家に浴室を作ることも想定され、さらに推し進めると建家の一部を開放系にし、露天風呂のようなものを構築することも考えられる(日本人的な発想ではあるが)。このように、身体の清潔化における入浴の導入は、未踏の探査地であった火星を、入植地、開拓地に変える転換点となるイベントであるように思われるわけである。

  ここまで、火星に人類が降り立ち、居住ミッションを開始し、補給ミッションを受けながら(人員の増加や交代を行いつつ)、居住基地を複雑化し(step 1→step 4)、やがて、町や都市の前駆となる基地群(c1→c3)を形成する過程を述べた。このような経緯を見てきて、少し疑問に思った方もいるかもしれない。これまでの基地や基地群は、すべて気密化された居住、行動スペースによって構成されているが、火星の居住はずっとそのような状況を前提とするのかということである。

  これには、当然、大気と気候改変の問題が関係してくる。多くの探査データが示すように、火星の大気は希薄であり、表面大気圧は平均で地球の0.74%ほどしかない。しかも二酸化炭素(CO2)がほとんどで酸素(O2)はわずかである。生身で外に出れば、瞬く間に窒息である(しかも表面は平均-63℃の極寒でもある)。火星の表面近傍の環境改変に関する議論には、温暖化と呼吸できる大気の形成という、相互に関連し合う2つの視点があるように思われる。

  温暖化においては、火星の表面近傍に存在するドライアイスや炭酸塩等からCO2(気体)を発生させ、その温室効果により火星を温暖化しようという議論がある。一部の研究者の試算によれば、現在推定されるCO2源をすべて利用できれば、50hPaほどの大気を得る事が可能である。しかし、このレベルでは、温室効果をもたらすことはできない。しかも、MAVENMars Atmosphere and Volatile EvolutioN)の探査では、大気上層において、CO2が宇宙に拡散していることが確認されており、そのようにして発生させたCO2が安定的に保持されるとは言えない状況もある。

  温室効果は、水蒸気や近年火星において確認されたメタンによっても引き起こされるので、上のCO2放出のスケジュールとそれらの存在時系列が一致すれば、より大きな効果をもたらすことが可能かもしれない。また、地球からもたらされた食料や飼料などの炭素源を用いて行われる居住ミッション自体が、幾分かCO2濃度の上昇に寄与すると考えることができる。

  火星内部の事は、まだ十分な理解が得られていないので、より大量の炭酸塩等が存在する可能性もあるが、現時点の探査データに立脚するならば、上記のように火星由来の物質に依存して、温室効果をもたらす事は厳しい状況にあると言える。研究者によっては、火星の塩素を用いてフロンを発生させ、温室効果を高めようという発想も見られるが実効性は不明である。

 

  火星由来のCO2を用いて大気を形成する時、現時点では上に述べたように限界があり、温室効果をもたらすほどのものではない。そして、新たなCO2源が見つかり、エベレスト頂上の340hPa程の大気を作れたとしても、そこには重要な問題が控えている。

  地球の海面大気は101.3kPa で、78%のN2、20.9%のO2、0.93%のAr、0.04%のCO2と他微量成分からなり(1975年のデータなので、今はわずかに変化している成分もある)、ISS(国際宇宙ステーション)では上記大気と同様の空気(N2、O2の分圧)が維持されている。以前述べたように、通常時O2は水の電気分解により製造され、Anoxiaを引き起こす18%以下の濃度にならないよう厳密に管理され、一方、CO2は7%以上になると中毒を引き起こすので、他の微量汚染物質同様除去され、船内の滞留濃度は低く抑えられている。そして、このような人工空気のベースとなる窒素分子N2は、船外に拡散する量の補填を含め、水同様、地球から輸送されている。

  少し遠回りとなったが、火星地表において、基地外で非機密で行動するためには、大気がISSや居住基地同様、不活性で無害なN2をベースとするものである必要がある。太陽系では、地球と土星の衛星タイタンにのみ、窒素が豊富に存在するが、火星では、薄い大気(平均7.5hPa)に2.7%しか含まれておらず、火星表層や地下にアンモニア等の窒素化合物が大量に存在するという報告も今の所ない。CO2同様、かっては現在よりも多くの窒素が存在していた可能性もあるが、火星形成時の降着物質に、元々、窒素やアンモニアがあまり含まれていなかった可能性もある。このような状況を鑑みるに、現状、呼吸できる限界の気圧であっても、N2をベースにした大気で火星地表全体を覆う事は厳しいということになる。

  とは言っても、居住基地や基地群、回廊近辺など限られた場所のみであれば、それほど未来的技術を使わなくても、呼吸可能な大気で覆い、非機密で行動することが可能かもしれない。それについては別の回で述べることにして、現状、アニメのように火星表面をオープンカーでドライブできるような大気で覆うことは難しく、将来、可能になるとしても格段の技術革新と時間を必要とするということになる。

  未踏の技術の言及はSF的要素を強めるが、先に安定な電力源として、居住基地に原子力発電所を導入する計画を述べた。原発があれば、炭素の放射性同位体14Cを作ることが可能である。そしてよく知られているように、14Cはβ崩壊により14Nに移行する。この過程を加速する技術があれば、火星の12Cから14Cを経て14Nを効率的に製造することができるはずである。放射性分子である7Be(ベリリウム)をフラーレンC60の内部に導入したところ、半減期を1%短くすることに成功した(7Beは7Liに崩壊する)という東北大学の報告もあるので、全く取っ掛かりのない技術というわけでもない。

  居住基地の空気に使用する窒素は、地球からの補給により賄われるが、火星の低層大気に、輸送した窒素(地球のみでなくタイタンからという可能性もある)を放出し続け、火星大気のベースを構築するという考えも可能であるが、磁場、太陽風、重力など、様々な要因が影響するので、投入された窒素がどのように平衡化するのかは全く不明である。また、火星には、かって液体の水の海が存在したという推測があり、そのような海を維持していた環境の研究は、火星の温暖化や、好ましい大気を作る上で重要な示唆を与えると考えることができる。

以上の点を実地で研究し、火星環境や大気改変の可能性を探ることが、居住ミッションの目的の1つであるわけである。

 

自分は、火星に地球の自然や生態系を持ち込む事に、賛成派である。一方、火星独自の壮大な景色や地質的モニュメントは、そのままの状態で残すべきであるとも考えている。そのためには、居住基地やそこから発展した都市は、気密性の隔壁やドームで覆われた構造である方が良いかもしれない。

居住基地の一画には、蓮池とそれに連なる竹林(あまり高くならない様にホウライチクあたりが良いであろうか)が有り、縦に林立する竹と横に広がる蓮の葉が、翡翠色のコントラストをなし、開花期が合えば、桃色の蓮の花が忘れ物の様にぽつぽつと咲いている、ユニットで飼育しているコオロギは、何かの拍子に何匹かは逃げ出すもので、その逃げ出したコオロギや子孫が、茂みのあたりで高い抑揚のあるフレーズで鳴いている、池の縁に佇んで基地の外を見ると、遠くの赤茶けた地平線の上には、少し傾きかけた太陽がある、何だ、極楽浄土の様ではないか、というのは少し感傷的な想像であるが、火星の居住ミッションは、今後50年以内に米国を中心として(日本も勿論参加の可能性がある)始まると思われる。その先にあるのが、風変わりなリゾートか第二の地球なのかは、まだわからない。