奈良 (84)

 旅行など行く暇もあまりない最近は、某動画サイトで観光地の賑わいなどを見て、一息つくことがある。特に在阪時によく行った奈良の動画を見ることが多い。そして、コロナ制限が終わり、円安の現在はインバウンド全盛期である。動画でも、東大寺周辺は外国の観光客で溢れかえっている。それはそれで、結構なことであるのだが、なんとなく釈然としないこともある。

 東大寺南大門に向かう参道の左側には、お土産物屋等が軒を連れ、その反対側は奈良公園の開けた緑地となっており、そこには鹿がいる。そ処此処で鹿せんべいが販売されており、外国人観光客もせんべいを買い与えている。その動画でよく見られるのが、所謂、お辞儀をする鹿である。

 すべてではないのだろうが、一部の外国人観光客は、お辞儀を強要とまではいかなくても、対価としてせんべいを与えているように見える。すなわち、お辞儀をすれば、食べ物をあげますよという態度である(お辞儀を誘導するために、せんべいを見せながら、自らもお辞儀をしているわけであるが)。

 日本人はコミュニーケーションとしてお辞儀をする民族として知られている。最初に、鹿のお辞儀が確認された経緯は、どのようなものであったかはわからぬが、日本の鹿だけあって、日本人と同じようにお辞儀的行動をすることが、単に面白いのか(もちろん鹿においては、挨拶でも礼儀でもなく、食べ物が得やすくなる、条件付けされた行動であろうが)、或いは、鹿を日本人に仮託し、食べ物を見せてお辞儀させることに、何かしらの充足感を得ているのか、何れにしても、自分には品のない行動に思われるわけである。

 部分的に餌付けされ、スキンシップの取れる穏やかな鹿と言うのは、外国では珍しいのかもしれない。奈良公園の鹿は、春日大社神使であるとしても、所詮、公園にいる動物にそこまで細かいことを言わなくても、という意見もある。外国から来た多くの観光客の自宅には愛犬、愛猫がいるであろうと思われるが、それら動物に給餌する時、何も対価は求めないなずである。その時と同様に、さりげなく対応してほしいわけである。旅の思い出として、せんべいは、鹿たちに近づき一緒の写真に収まる、或いは、せいぜいそっと体に触れるためのものと言う認識である。

 

そのツアーガイドは、せんべいを購入し、

一枚抜き取ると、

ツアー客に見本を見せるように、

集まってきた動物に、せんべいをかざした、

そして軽く上半身を傾けながら、お辞儀を誘導した、

しかし、浅く頭を振ったぐらいでは、せんべいは与えず、

深く深く、何度も何度もお辞儀をすると、

ようやく、せんべいを与えたのである、

 

そして言った、

私達の祖先は、

この遺跡で、せんべい一枚もらうのに、

何度も何度もお辞儀をさせられたそうです、

しかし、どういう天の配剤か、

ヒトの文明は滅び、

ヒトは野生動物になりました、

そして、ヒトがかってシカと呼んでいた我々が文明を持つようになり、

昔ヒトがしたようにしているわけです、

 

話を聞き終わると、ツアー客はめいめい少し変わった形の手でせんべいを掴むと、それを、

土くれにまみれ、呻き声をあげ、

原人化したヒトの鼻面に掲げた、

そして

そ処此処で、

深く深く、お辞儀を誘導する光景が見られたのである、

 

最近見た夢である、

 

(紙 (84)は、火星-紙 (85)として、あらためて掲載しました)