SF (41)

  ジェイムズ. P. ホーガン(James Patrick Hogan)は、好きなSF作家の一人である。大学時代、書店で初めて「星を継ぐもの(Inherit the Stars)」を手に取り、その後、「ガニメデの優しい巨人(The Gentle Giants of Ganymede)」、「巨人たちの星(Giants' Star)」(いずれも創元SF文庫)と読み進めてしまったのは、お決まりのパターンである。所謂、これら巨人三部作も十分良いのだが、個人的には、その後の、「造物主の掟(Code of the Lifemaker)」が好みである。

  土星の衛星タイタンに発生した機械生命による文明の顛末を描いたこの作品は、何らかの寓話のようであり、AIやロボットが急速に発展しつつある地球の未来予測のようでもある。そして、読む前に機械生命の造形を触発する、表紙絵がまた良いのである。鉱物資源調達のため、知的生命体がタイタンに送り込んだ無人宇宙船のロボットが進化して機械生命になるという設定は、環境改良のために火星に放たれたゴキブリがテラフォーマーに進化する設定と、どことなく似ているわけである。カッシーニホイヘンスによる探査では、どうやら現時点では機械生命による文明は存在しないようであるが、今後、地表に残されたホイヘンスから機械生命が誕生する、可能性はあるわけである。

 

(テラフォーミングについてであるが、タイタンには、メタンの海が多くあるので、第一段として、そのような海にメタン資化性菌を投入してやれば、二酸化炭素が排出され、温室効果により星を温め、次のステップに進めるのではないかと一瞬考えた。しかし、気温が低く、液体の水や酸素分子の存在が報告されていないので、これは難しいようである。ただ、衛星の地下には、氷(H2O)の層が存在するので、衛星のマントル対流が生きていれば、メタン海の深部で、温度、水、酸素等の条件をクリアした、資化性菌の棲息環境が存在する可能性はある。)

 

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  2017年に逝去したホーガンは、宇宙系ハードSFの旗手として活躍したが、日本において、同様に宇宙系SFで活躍した作家がいるか考えてみると、少し前ではあるが、個人的には、光瀬龍(—1999年)が該当するのではないかと思っている。光瀬龍は、宇宙ものとして 「たそがれに還る」(ハヤカワJA文庫)、「喪われた都市の記録」、「東キャナル文書」などの長編、そして「シティ0年」から「辺境5320年」に至る、25ほどの宇宙年代記シリーズを執筆している。果てしなき宇宙探査そして異文明との出会い、辺境の星における文明の勃興と衰退が、叙事詩のように描かれ、それらは宇宙SF、珠玉の作品群である。現代の作家でこれほどの質と量で、宇宙ものを書いている人はいないのではないだろうか。そしてそのいくつかはホーガンの作品とエッセンスが似ている。

  光瀬龍と言えば、「百億の昼と千億の夜 」(ハヤカワJA文庫)があまりにも有名であるが、今の人は、この作品を漫画版(萩尾望都 秋田書店)で知ることが多いようである。漫画版では、後半の主人公の一人である阿修羅王が、小説新装版表紙にもあるように、凛々しい中性的人物として描かれ、「百億…」と言えば、この阿修羅王という印象がある。

  自分は何処かの雑誌で、山上たつひこ氏が描いた「こまわり君」的、阿修羅王を見たことがある。衣をまとった二頭身のあの身体で、バレエのように回転しながら、アシュラオ〜と言っていたように思う。その時、萩尾望都版があるならば、山上たつひこ版があっても良いかなと思ったことを覚えている。それは、ギャグSFとかギャグファンタジーの部類に属するのかもしれない。しかし、阿修羅王が、帝釈天との戦いの最中に、あふりか象が好き!などと言って退散してしまっては話が続かないので、やはり難しそうではある。

  光瀬氏は、作品の巾が広く、宇宙もの以外に、「寛永無明剣」、「多聞寺討伐」など、歴史SFものも書いている。自分は、それら作品群も結構好物なわけであるが、それら歴史SFものや先の宇宙ものが、適切な翻訳者により英訳されたならば、欧米でも、一定の評価を得るのではないかと思っている。

  さて、今回はSFの話であった。SFを発想し得ない世界というのは、ある意味、想起する物や状況がすべて現実であるということになる。それが文明の到達点であるのか、神の領域であるのかわからぬが、現代においては、まだまだSFが作成される余地はありそうである。