眼 (58)

  昔、滞在していた施設に、私大の眼科の医師が出入りしていた。彼とは、よくお勧めの喫茶店で昼食をとることがあり、その時に聞いた経験譚である。

  外傷や感染症等で、角膜に重篤な異常がもたらされた時、角膜移植は重要な治療手段となるが、その時に使用されるのが、個人から提供された角膜である。生前、所定の機関に角膜の提供を登録しておき、その時になると眼科医が赴き、手早く確保するわけである。先の医師が当番であった時、とある登録者の自宅に行くこととなった。

  その登録者の自宅というのが、いわゆる伝統的な豪邸であり、その規模に驚きつつ、敷地内の一画に車を止め、少し距離のある木造邸宅の玄関にたどり着き、要件を告げた。生前、本人から聞いていたのか、出てきた家族と思しき人物は、すぐに了解し、本人の所まで案内してくれることとなった。

  葬儀等の準備で慌ただしい廊下を抜け、幾度か角を曲がりたどり着いた部屋の障子を開けると、そこはだだっ広い和室であり、故人の縁者が取り囲む中に、面布を掛けられた仏様がいたわけである。例えるならば、映画「犬神家の一族」に出てくるような状況であったわけである。終わったら連絡して下さいということで、部屋に居た人達は全員出て行った。

  手を合わせ、面布をとり、いつもの作業を開始することとなった。作業は順調に進み、眼窩からスパチュラで一方の眼球を持ち上げ、ほぼ取り出そうとした時であった。障子を開けて小さな男の子が入ってきたのである。

「おじさん、何やってるのー」と言いながら、こちらに近づいてくるではないか。

これはまずい、眼球を処理するには今少し時間がかかる、かといってこの状況を有り体に見せてしまったら、悪魔の所業と思われるかもしれない。ショックを受け泣き出したり、心に傷を残す可能性もある。子供がもう到達してしまう、どうすればいいんだ、

先生はとっさに眼球を元の眼窩に戻し、そして、まぶたを閉じて、「お顔を綺麗にしているの」というようなことを言ったそうである。少し遅れて親御さんらしき人が来て、子供はせきたてられ出て行き、眼球はその後適切に処理されたということであった。

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  前回、iPSのことを少し書いたが(子孫 (57))、将来的には、網膜同様、角膜も誘導され、利用されるようになると思われる。一方、目の疾患には、ぶどう膜や水晶体、その後ろの硝子体など、先の膜以外の構造が関係する多くの疾患が存在する。それら疾患に対しても、近年、欧米等で分子標的治療の取り組みが行われるようになりつつあるが、眼球は1つの閉鎖的器官として、内部の構造が関係しあっているので、特定の分子の発現や動態を標的として、視力を回復させるというのは中々難しそうである。

  自分はiPSやオルガノイド等、誘導技術のエンドポイントの1つとして、眼球自体を誘導する技術の完成も、重要な選択肢であると考えている。そして、未来、免疫拒否のない自己細胞由来の新規眼球を使って根源的治療が行われるわけである。一方、そのようなウエットな物とは異なる、電気工学的な取り組みも十分想定される(むしろ、そちらの技術の方が先に進む可能性がある)。要するに、光学センサ、レンズ、ケーブル、すべてを統合動作させる処理回路、バッテリー等からなる工学的眼球である。

  このような工学的眼球は、サイボーグや義体が登場する創作物においては一般的なものであるが、画像や場景の保存という点において、ごく普通に電脳化と密接な関係にあると言える。個人的には、どこかの国で、負傷した兵員等の協力を得て、結構なレベルまで開発が進んでいるような気もするわけである。

  さて、工学的眼球を装備した人においては、「目を見ればわかる」とか「睨みを利かす」というな言葉はもはや意味をなさないかもしれない(攻殻のバトーのような眼であれば睨みを利かすことも可能かもしれないが)。一方、メリットとして、天然の眼よりも遥かに高性能に設定することが可能である。視力は言うまでもなく、赤外線センサに切り替えて、物質表面温度を瞬時に知ったり、紫外線画像を見ることも可能かもしれない。要するに、現在、単体で存在する特殊カメラの機能をすべて盛り込むことも原理的には可能である(機能のオプションによって、価格が異なるという状況も十分想定できるわけである)。

  このような工学的眼球や先の誘導眼球まで行かなくても、注射のみで治療したり、症状を改善できれば一番であるが、そのためには標的化された自壊性のナノマシーンのような、もう1つの技術的ブレイクスルーを達成する必要があるわけである。

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